昨夜は雨が降っていて、幾分気温が下がってきた。
午前中は友人がお茶飲みにやって来て、昨日公示の議会選挙候補の話などし、午後から裏山の牛を放牧していた電気牧柵の片付けに入った。
昨年秋に牛を返してから、電牧を地面に下ろしておいて、今年は放牧できる牛がいなかった為電牧は下ろしたままにしていた。
片附けていて2か所毎年同じような場所で、2~3m横断方向に引っ張られて引きちぎられていた。
もしかして・・熊の仕業か? と毎年感じているが?
来年以降酪農家の友人が廃業する可能性もあり、私も体力的な限界を感じており、10年間張っていた電牧を片付けて「終活」だ。
10年で放牧地内は、牛が随分綺麗にしてくれた。
昨夜は地区で会合があり、季節毎に色々な行事をしてきたが、最後に残っていた数珠回しも継続が出来ないとの結論になった。
毎年持ち回りで当夜になり各家に招いて催していたが、その世話が重荷になった為だ。
先日丁度この数珠を格納している社に記録がある事を聞いたので、中を調べた。
この社は平成4年に「ふるさと創生」で地区に配布された交付金で「社」「数珠」を更新したもので、私が父に代わって自治会に出るようになり、丁度交付された交付金の世話人になって初めての行事だった。
当時は私も若かったので、この中の札は気が付かなかったが
「新四国 88か所の内、15番国分寺」と記してあった。
この「新四国・・・」が気になるが。
ご本尊の裏には「第15番」と記してある。
木札には「明治44年」に地区内の2戸で、四国88カ所の第15番札所「国分寺」まで出向いて、11月21日に寄進し始めた記録だった。
現在私は5巡目の四国遍路を巡っているが、当地から車でも5時間程もかかる。
どんな経緯で始まったものなのか?
今は分からないが、約100年で止める事になった。
集落も「終活」に向かっているような・・・。
寂しい結論だ。