旅先で記録できなかったので、自宅に帰ってからの整理だ。
逆打ち遍路で、区切り打ち3回目の3日目 は足摺岬からのスタートだった。
足摺岬は37年前に日本3/4周ヒッチハイクで最初に訪れて以来で、遍路で回る様になって6回目になるはずだ。
ヒッチハイクの時にユースホステルで泊ったか? どうかは記憶にない。
これまで4回遍路で来ているが、申し訳ないが足摺岬は「昭和の観光地」としか思っておらず「通過地」にしていた。
今回行程を計画したら、この地を宿泊地に計画すると都合が良く、ネットで調べたら「足摺温泉」があって予約したが、良い宿泊場所だった。
只、新型コロナの影響で大変な落ち込みの様で、夕食時に従業員さんに励ましの言葉を掛けたら「こんな状況の中で来てもらって・・・」と逆にお礼を言ってもらった。
応援したくなる宿舎だった。
今回は日程に余裕があるので、東側の海岸沿いの県道で土佐清水市へ向かった
岬に近づくとこの両側から道路を覆うようなウバメカシの林に特徴がある
これから向かう高知方面の海岸線と
逆光になるが岬方面の風景で気持が広くなる。
7年前に初めて来た時に比べて道路改良が進んだようで、快適なドライブコースになっていた。
道路沿いの無人販売所も所々にあり魅力的で必ず購入している。
この無人販売所も前回立ち寄った。
丁度生産者のおばさんがやって来て話していたら、漫才のかしまし娘似の知り合いのおばさんが来て代わりに勝手に説明をし始め、ミカンの「小夏」の食べ方を喋ってくれた。
生産者のおばさんは夫婦で15周巡拝したが、今は旦那さんの具合が良くないようで休止中だといっていた。
このおばさんは殆ど日帰りで回り、徳島は1泊で巡拝していたとも・・・。
こんな地元と人との語らいが、この旅の醍醐味でもある。
今日「小夏」を
「外皮を剥いて中の白いところを一緒に食べる」
との説明道理に食べたが、そうして食べると「旨い!」と分かった。
店頭ではそんな説明書きは、何処でも見ない・・・・・ 、勿体ない。
途中「黒潮町役場」に寄ってみた。
ここは必ず来る「西南海地震」で最高38m(?)余の津波が想定され、最初に役場庁舎の移転を報じており、巡拝ルートなのでいつか訪ねてみたい所だった。
庁舎の移転は終わり、それに併せて徐々に周辺も整備されつつあるように見えたが、他所の者の勝手な見方で申し訳ないが
「これが真に意味ある公共事業!!」に見える。
勝手のついでに、当地の今後の発展をお祈りした。
この日も天気が良く、海岸線も美しく
特徴的な岩が見える
この日も歩き遍路の方を見かける
自転車の遍路さんは、逆打ちの様だ
次の37番岩本寺に
この寺は改修時に全国に募った天井画が特徴だ。
このモンローは、色々な雑誌の紹介記事には必ず載っている有名画だ。
このお寺も我々に必ず声を掛けてくれ、駐車料金は自主申告だが払うとこの「シール」をお礼として渡してくれる。
色は毎年変えて今年は白色で、このお寺に巡拝するとシールの様に笑顔になれる良いお寺だ。
中には駐車料金を払っても、領収書も出さず礼も言わないお寺もある。
近くに旅番組で紹介される、久礼の大正市場にいってみた。
何処の街も一緒で、寂れ感のある 町並みの一角にあった
アーケード街に移転した「魚屋さん」が、上手く商売していて
この日も取材していた
夜地元のNHKニュースを見ていたら、この日が初ガツオの初水揚げでこの店を報じていたので、この取材だったのかな?
魚屋の向かいで焼魚を串で売っていた。
名前は忘れたが、
旨かった。
次に須崎の別格5番大善寺に
本堂はコンクリートの階段を登った場所にあり
眺望は良い
梵鐘もあるが
「近所迷惑だから突くな!」と張り紙が
お寺は地域住民の拠り所であろうし、四六時中突くわけでもないのに・・・
本堂に向かうと
固く戸が閉めてあって本尊も何も見えない、仕方なく降りて「太子堂」でお経を読んだ。
更に納経所を探していると近所の人が教えてくれ、離れた場所に行って入ると
この張り紙が
ブザーを押したら2Fからエレベーターで降りて来て、納経したらすぐにでも出てくれの態度で窓を閉め、エレベーターの方へ・・・
5年前にも来たはずだが、
そんなに嫌なら、「別格」扱いを辞めたら・・・・・
と言いたいような寺だっだ。
その後も旅番組で必ず紹介される、須崎駅前へ
マスコットのカワウソ君が有名らしい
しかし、テレビで紹介される「鍋焼きラーメン」の店はシャッターが
車で探していたらそれらしき看板があり
店頭の看板に書いてある。
昼食時間は過ぎていたが、入ると「まさしく昭和の喫茶店」
動かない「インベーダーゲーム機」が
出てきた「鍋焼きラーメン」・・・・。微妙
一人お客があり煙草を吸っていて、もろに受動喫煙だった。
店を出て商店街を通るが、殆ど閉まっている。
暫くは走って36番青龍寺へ。
海岸端だが延々と続く石段があり、四国遍路が始まり1200年経過するらしいが、その間には西南海大地震や津波があったと歴史にあるらしいが、ここに来るたびにこの石段の意味が理解できる。
ご本尊も「波切不動明王」だ。
ここで今回初めての錦札が置いてあった。
7年前に四国遍路を始めた時には、この錦札は滅多に遭遇しない縁起物なので頂いて良いものだと聞いていた。
が、最近はお寺によっては「巡拝者が願いを託すものだから・・・」
と持ち帰りを戒めるお寺や、中が見えない様な納札入の構造のお寺もある。
今回遭遇した錦札は、箱の上に石で押えて置いてあった。
この方は、従来通り縁起物として置いた札として、有難く感謝して頂いた。
巡拝後降りる石段を見ると、やっぱり長い
国道沿いには、明徳義塾高校がある。
大相撲の「朝青龍」が高校相撲で在席していて、このお寺が名前に由来していると近く泊った宿舎で見た記憶がある。
しかし、野球のバクネットは見えない・・・
何処か違う場所に専用球場でもあるのかな?
次の35番清瀧寺へ。
ここは乗用車がやっと通れる長い坂道だが、後ろからワゴン車が付いて来たので逃げる様に上がった為写真など撮れなかった。
ここにも歩き遍路の方がいて話を聞くと順打ちで12日目だと。
私には出来ないので激励して別れた。
宿舎へ行く途中なので、34番種間寺
前回はこの納経所で、明治29年の納経帳を見て貰ったら、こちらの江戸時代の納経帳等見せて頂いた。
5時間際になり先に納経を済ませてから本堂へ
宿舎は高知市内の老舗旅館が別棟を新築中で、景色が見えない為割引価格で予約が出来た。
夕食時に従業員の方にコロナウイルスの影響を聞くと、例年なら中国、台湾からの団体旅行客で賑わうが、1/4~1/5位の宿泊しかない中での宿泊を喜んでもらえた。
今はパートや実習生を全て休止していると。
只、料理も接待も満足したが、WiFiは容量が少ないのか殆ど使えなかった為ブログの更新は出来なかった。