一昨日から四国へ向かい今日帰った。
九州で豪雨被害が出ていて、被災地の皆さんを思うと申し訳ない気もするが、個人的に思い入れのある四国遍路も窮地の様らしいので、何かの足しになればと向かった。
今回はコロナ禍の直前まで、逆打ちの3回目を打ち終えたところだったが、お遍路さんの内うちで白衣に「鶴と亀」の印を貰うものらしい事を知り 、39番延光寺で御朱印の「亀の印」を頂き、鶴は何れ巡拝する20番鶴林寺で頂く事にする。
当日夕方に訪れたが、例年なら遍路や観光シーズンで賑わうらしいが数名の方のみだった。
昨日は38番札所のある足摺岬も人の動きは殆ど見えなかった。
境内には、ここも亀にまつわる謂れがあるが御朱印は違う。
池は独特の岩を配置して特徴がある。
納経所で納経して、お寺への参拝者を伺うと
「ポ~チ・・ポチ ですね!」との事だった
次のお寺に向かう長い道中には、2~3人の歩き遍路の方を見かけた。
今回の最大の目的は「真念庵」を巡拝する事だった。
この存在は知っていたが、私の知識では墓がある位置だと思っていたが、御朱印も頂けると知り今回巡拝した。
道路で看板を見ていたら、付近の方が家から出て親切に場所を教えて頂き
集落の中にある道を登ると
真念庵の説明看板がある。
その看板から庵への石段を上ると
立派な社が新築されており、今年の2月に竣工したとの事。
御朱印は集落の中のお宅で頂けると案内がありお邪魔した。
此処は2種類の木版の御朱印があり、両方頂いた。
左は、38番札所に向かう前に頂き、右は「足摺打戻」とある様に、金剛福寺から帰った時に頂く御朱印と説明を受けた。
ご主人は70台後半の方だが、子供の頃には大きなお寺があり尼さん親子がご住職だったと記憶があるとの事。
この納経は明治の頃の御朱印で、右は明治31年のものと説明を聞いた。
私が、昨年母方の実家で3代前が遍路した際の納経帳を預かって巡拝したが、その納経帳は明治29年に巡拝したものだった。
が、ここの御朱印は無かった。
当時の遍路さんは、この真念庵で泊り、翌日荷物を置いて足摺まで巡拝してここに又帰る行程だったらしいが・・・・??
私は今回5巡目で逆打ちで巡拝しており、別格20ケ寺や明治29年に母方の3代前が廻ったお寺も巡拝しようと計画しており、納経帳は私製で廻っている。
その為3月に打ち終えているが、真念庵で2種類の御朱印を間に挟むので、紙の都合上「38番ー真念庵2種類ー37番」と修正するため
37番岩本寺も納経して修正できた。
このお寺の本堂の天井画は、全国から寄せられたものらしいが
いつ来ても魅了される。
昨日は巡拝の予定は終わったので、梼原町へ向かい今話題の「隈 研吾」 氏の建築物を見学に行った
「道の駅」も併設されていたが、他では「道の駅」がメインになっている場所とは目的が違うので、 一瞬「??? これ??」だった。
いつだったかTV番組で見た「炭焼き」の方の商品も
展示されていた。
木酢も。
その後は四国カルストへ。
ナビを使いながら、結局は「道路地図」開いて道を読んで行ったが、道中は大変な道だった。
行ってみればキャンプ場で、一気に気温も下がり
牛が草を食べながらの光景は、何処か和むし好ましい景観だ。
それにしても四国はバラエティーに富んだ楽しい地域だ。