昨日午前中に予定通り鉄くず回収に来てくれたので、不要な
金属物を引取ってもらった。
中国から来た人の様だったが、毎年少しづつこうした金属物が
出てくるので、こうして引取ってもらえて有難い。
その後、平野部にいる叔母夫婦が自宅の周りの自家菜園畑で使う
藁や燻炭、ストーブで出た木灰を届けた。
ついでに泊まらないか?
との事で有難く泊めて貰って12時前まで飲んだ。
今日は今年の2月に急逝した従兄弟の自宅も近かったので、
お墓参りをして出発し、途中で「放牧酪農」をしていた知人の
動向が気になり、通常の道とは違う道から向かったら道に迷って
しまった。
しかし、迷ってかなり辺鄙な所だったが、偶然噂に聞いていた
蕎麦の美味しい店があり、昼食で立寄り釜揚げと割子2皿付き
を頂いた。
私はそんなに蕎麦の通ではないが、評判通りの美味しさだった。
昼前に知人の放牧酪農をしていた知人を訪ねた。
彼は20数年前北海道から移住し、県境の山間地で完全放牧で
200頭近くの牛で酪農をし、主な消費者を近畿圏で自ら開拓し
て経営していた。
軌道に乗って10年経過した時に、借地の継続が出来ずにいた
ところ、元開発地で荒廃していたこの地の当時の名物町長が、
平成18年頃に入植を勧めてもらって規模を縮小して酪農を経営
していた。
その当時に彼と知り合い、彼の理念と行動力に魅力を感じて
付き合っている。
私も8年前には彼から牛を借りて裏山の放牧を始めた。
この地は国の開発事業で造成した土地だったが、耕作者が無く
荒れ放題で萱が密生した。
彼が入植して、牛が耕し面積は少くなったが、牛乳を使って
パンやピザを焼いて喫茶店も始めていた。
全て廃材や廃物利用で作った喫茶店で、保健所の許可を取って
営業をしていた。
お世辞にもオシャレな店とは言えないが、味のある何より美味
しい牛乳と本物のピザとパンがあったので固定したファンが遠方
より来ていた。
ピザ窯も彼の自作だ。
彼は兎に角柔軟で発想が違う。
只、当時の町長が替わり、今は職員が景観が悪いとクレームを
言う様になり、この借地も継続を諦めたらしく、7月までに撤退
すると言っていた。
しかし彼の経営理念に共鳴する首都圏や近畿圏からのシェフや
消費者が支えており、今日も解体する喫茶店にピザを予約して
多くのお客さんが来ていた。
今の行政職員には理解が出来ていない様だ。
この地も昨年から牛を減らしていたので、萱が生え始めていて
元の山に戻る事になるだろう
私は彼そのものが資源と思えるが・・・・・。