”まあまあ自適!!” な山村の暮らしを綴っています

東日本大震災10年

昨日はどのメディアも東日本震災報道一色だった。

私も二十歳の時に1か月のヒッチハイクで、あの地も訪れ多くの車に乗せて頂き、親切な運転手さんに自分の夕食の弁当を貰ったりした。

f:id:asmane:20210312184405j:plain当時退職後1年を経過していて、毎日NHKラジオ聞きながら生活しており、最初は有りったけのタオルや毛布を自治体の呼びかけで送り、僅かだが義援金を寄付したりしていた。

 

そうしていると、どの番組の中でも1年を過ぎた頃から、地元の皆さんからのお便りに

「是非震災した地に来てください!」

とあり、自分の体力ではボランティア活動など出来そうもないので、意を決して当時津波に呑みこまれて多くの職員の方々が犠牲になられた 岩手県大槌町に、慰霊のつもりで訪れた。

内陸から入ったが、津波の来た所を境に全く別の光景が衝撃だった。

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大槌町役場は屋上まで浸水し

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津波の来た時間で時計は止まったまま で、庁舎前の祭壇に手を合わせ

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建物の壁を見ると津波の凄まじい破壊力が・・・

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近くで、偶然地元の方のお話を伺い、復興の為の「RING-PROJECT」活動でキーホルダーを紹介され、購入して今も使わせて頂いている

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その後走る道路脇のコンクリート擁壁が転倒したり

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護岸堤防も転倒していた。

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内陸に向かう道路には支援への感謝の横断幕が

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あちこちに掲げられていた。

報道では、なかなか元の生活には程遠い様だが、一日も早い平穏な生活を祈る事しかできない。