”まあまあ自適!!” な山村の暮らしを綴っています

東京のバスガール

今朝も気温が下がっており、早朝5時頃薪ストーブは燃え尽きていて着火して再び寝る

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6時頃に起きるとしっかり室内は暖かい。

最近の朝のルーティンだ。

 

最近キャンプがブームらしいが、毎日焚く薪ストーブの薪が弾ける音や揺らめく炎と共に柔らかい暖かさは、先日来気掛かり事があるが見ているだけで何となく和む。

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薪小屋の温度計は今朝も-7℃だ。

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裏庭に屋根から落ちた雪も僅かになってきた。

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 池の鯉は日に日に動きが活発になって来ている。

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県境の山は未だ真っ白で、この雪が見えなくなると暖かさが本格的になる

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目の前に見える田圃も今朝は大霜で白くなっている。

 

先日首都圏にいる叔母が入院した聞いたので電話してみた。

大人になってからは「叔母」と言っているが、4歳上で子供の頃から「姉」と「弟」。父は9人兄弟の長男で私は4歳下の弟と2人兄弟なので、父の下の妹2人と私達は殆ど姉弟だった。

子供の頃、父が「作業場の新築?の祈念?」で、大社に連れて行ってくれた。

当時は全て定期バスの乗り継ぎで往復したが、その際どのバスに乗っても一番前に座って、2人で得意げに大声で「東京のバスガール」を何回も謳った事が、強烈な記憶で残っていた。

 

その時に一緒だったのは「弟」とず~と思っていたが、数年前の法要が終わった夜に当時の姉弟姉妹で慰労会をしていたら、

「何を言っている! それは私だ!」

と叔母が言って60余年の誤解が融けて大笑いした。

 

今でも「東京のバスガール」は3番まで歌詞を見ずに唄う事が出来るし、あの時の父の笑顔は今でも記憶に残っている。