昨夜は蒸し暑さは無かったが、何故か寝付きが悪かった。
今朝の新聞のコラムを大変興味深く読ませてもらった。
約50年前にこの酪農とは正反対の都市酪農に数年間携わった。
と言っても、今では外国からの研修生を受け入れているが、当時は私達の様な田舎の世間を知らない純真な少年を「農業高校の教師」が都市酪農へ斡旋していて、正式には何だったのか? 分からないが就職の様な形で行って、
今の外国から入れている「技能実習生」の様な扱いだったのか?
大都市の近郊で、ビール粕や豆腐粕のおからで酪農を営んでおり、1戸当たり50頭余りの乳牛を飼育して実習生を2~3名雇っていた。
その頃の酪農家は、住居は「開拓地の家屋」様だったが、内容は分からないが高級乗用車も所持していて「結構儲かって」いた様に見えた。
今では考えられない生活環境だが、当時は若かったのでそれなりに楽しかった。
只、酪農は365日休むことは出来ない職業で、このコラムの様に数億円の事業費で借入金があれば、生活を楽しむことも余裕も生まれないのでは?
同級生も同じ実習生を経て近くで酪農家をしており、昨年まで子牛を借りて放牧していたが、彼の経営を見ていて、50年前と売る乳価が殆ど上がっていないので、薄利多売で頭数を多くするしかないらしい。
10数年前に北海道から近隣へ移住して、山地酪農をしている方と親しくなった。
牛舎は搾乳する時に牛が入ってくる程度で
当時訪ねた時に、彼の娘さんが一人で30頭余りの搾乳を一人で楽しそうにしていた。
搾乳の終わった牛は、三々五々草を食べに群れていた。
牛乳は関西方面を中心にした消費者に支持され、楽しそうに経営をしていたし、景色は信州か? の様に感じた。
今の酪農は、牛は牛舎内で繋ぎ飼料は全て購入飼料を人間が持って行って与えている飼育環境が、何か矛盾している様に感じる。
一部では特徴ある「山地酪農」もあるらしいが、日本の風土では草には困らないので、これを利用する経営は出来ないのか?
そんな経験から、今日も草刈りをしたが
昨年までは此処で2頭の牛が綺麗に食べてくれていて、この草の量を見ると毎年秋に牛を返す時に充実していた体躯が分かる気がした。