”まあまあ自適!!” な山村の暮らしを綴っています

岩手県 大槌町

昨夜はNHKテレビに釘付けになった。

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9年前の東日本大震災津波で、役場職員40人が犠牲なった番組だった。

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役場庁舎が津波に呑まれる映像もあり

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職員の記念写真も映された。

 

私も行政職員で震災の前年に希望退職して

「公務から外れた自由の解放感」から、

「田舎暮らし」2年目に入り、震災当日は定期検診から帰る途中のSAに車を停め、車中で昼寝をしていたらラジオから震災放送が流れ、ガラケイのワンセグでテレビを見ると、信じられない映像が流れていた。

以来、毎日テレビから放送される中で、岩手県大槌町職員が対策本部を開いていて、職員が多数犠牲になったとも報じていて、事情が分かるにつれいたたまれない思いが募ってきた。

私は退職して自分の思う「自由な生き方」を始めていたが、この犠牲になった職員の中にも月末には退職して「自由の身」になれる方もいたのではないか?

 

昨日のテレビでも「行政職員としての責任」

から、避難を躊躇した事や

「これだけの津波は想像すらしなかった事」・・・・・

犠牲にならなかった職員の方々の、その後の復興業務・・・・

痛いほど分かるから辛い。

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私は当時も今も、常にNHKラジオを聴きながらの生活しているが、震災2年目になるとラジオの投稿に

「震災の現地に遠慮なく来てくれることも復興の手助けだ!」

と流れてきた。

そこで震災翌年の4月、この大槌町を訪れ被災した庁舎の前で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りした。

この2階庁舎が津波に呑まれたとは、信じられないが真実だった。

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 庁舎の時計は、地震後40数分後の津波に呑まれて折れた針がそのままだった

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庁舎の横に廻ると、コンクリートの柱や壁も津波が破壊したとは信じられない光景だった。

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庁舎前でお話を聞いた方から、被害の様子や

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 前向きな話も聞き、この「和」を廃材に記したキーホルダーを買わせて頂き今も車に付けている。f:id:asmane:20120405114157j:plain

遠野から入ったが、海岸付近に出ると一気に景色が変わり、ここは津波で家が流され、コンクリート基礎だけが残っていた。

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レンタカーで歩いたが、こんな高い橋の上の欄干がへし曲がっていたり

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護岸のコンクリートが転倒していたり

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防潮堤がすっかり転倒していた。

ここも復興予算でとんでもない高さのコンクリート壁が出来たのかな?

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花巻に宿舎を取って訪れたが、道のあちこちにこうした感謝の横断幕が掲げてあった。

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復興する決意も見受けられた。

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今朝の朝日新聞で、復興予算の使われ方を報じていた。

震災後ラジオで国会中継が流れていたが、予算委員会で質問する議員は

「復興予算を増額すべきだ!」

と言えば「手柄の様」な質問ばかりで、

何となくこのような結末になるのでは?

と感じていたが・・・・・。